問題の本質は「心の弱さ」ではなかった。
私はプレッシャーに弱い。
大学受験の第一志望。
試験会場の席につく前から私の不合格は決まっていた。
親や教師からの期待、友人の真剣な目。
そして何より一年間苦しんで我慢して無理した自分。
圧倒的な重圧に全く耐えられず、解答用紙を目の前に私は無気力だった。
あの時は何が起こっているのか自分にはわからなかったが、今ならわかる。
「私は精神的に強くない。」
いわゆる「気合い・根性」と言ったものが元来備わっていないのだろう。
あの時と同じような出来事がまた起こった。
仕事で長年誰も解決策を見出せないでいたある問題が深刻化し、
解決しなければならない事態に陥った。
誰もその答えからは程遠い。
しかし相対的にみて、私が業務上、能力上、経験上、一番答えに近かった。
おごりでもなく合理的にみて自分でもそう思う。
だからみんなは私に期待し私に頼り、重圧をかけた。
だが私はまた、その重圧に耐えられなかった。
無気力・・・・。
「根性がない」「責任感がない」周りがそう思うのは当然だ。
受験に失敗した時に父親からも言われた。「やればいいのに。」
周りからはそう見えるらしい。
「やればいいのに。」
そう、やればいいのだ。そんなに難しく考える必要はない。
冷静になった「私」もそう思う笑笑
失敗してもいい。骨は拾ってもらえる。
だけど。
そこまでしてやりたいか??・・・・。
やれば、精神的にも身体的にもボロボロで残業まみれになるのは目に見えていた。
受験の第一志望も。
仕事も。
全て私の意思ではない。本心から行きたい、やりたいと願ったことではない。
周囲の期待だ。
そこまでして周囲の期待に答えて・・・それで?
そう、問題の本質は私の根性や気合いの能力うんぬんではなく、
私が心からやりたいことを自分で選んでいないこと
なのかもしれない。(今気づいた笑)
そりゃ本気になれないさ。
じゃあ、いいか。本気になれない自分を責めなくてもいいか。
プレッシャーに打ち勝つ方法を身につけるべきか否かの話を書こうとしたのに、
着地点そっちかい笑笑
私がやるべきことは、
他人からのプレッシャーに打ち勝つ能力を身につけることではない。
打ち勝ちたいと思えるプレッシャーを見つけて選ぶことだ。
いつか本当に心がゾクゾクするような、
自分で自分にかけたいと思えるプレッシャーに出会えるといいな。